真空管アンプ製造技術者
中本 孝(なかもと たかし)理事
50代半ばで大手スーパーのサラリーマンから転身し、
真空管アンプの製造技術を極めた中本理事。
決して過去の遺産ではないという強い信念のもと、
真空管アンプの製造と普及に心血を注いでいる。
1950年兵庫県西宮市生まれ。1973年関西学院大学法学部卒業。同年、株式会社ダイエー入社、衣料品部門などを担当。2005年同社退社。2007年香里電機(現・レーベン工房)入社。2015年同社退社。以後、フリーランスで真空管アンプの製造・修理に従事。
【真空管アンプとの出会い】
真空管アンプと出会ったのは、ロックバンドをやっていた学生時代のことです。そのころ神戸の三宮にあった楽器店によく出入りしており、そこのオーナーが自作されていた真空管アンプに興味を抱きました。「自分でつくってみたい」と考えた私は、オーナーに教えを受けながら、「6B4G」の真空管を用いたパワーアンプを見よう見まねで製作しました。完成したそれをオーナー製作のプリアンプと組み合わせて、自分用のオーディオとして、以後、長年にわたって音楽を楽しんできました。
真空管アンプの真価を理解したのは、やはり学生時代でした。大学卒業前の半年間、私はヒッチハイクで西欧諸国を回りました。いまでいうバックパッカーです。その間、多くのご家庭にご好意で泊めていただきました。
欧州の家庭には、音楽が生活とともにありました。日曜には教会で賛美歌を歌い、クラシックのコンサートに出かけます。食事のときはテレビなど付けず、会話の邪魔にならないようにレコードをかけます。オーディオはダイニングやリビングにおかれ、長時間、音楽を聴いても疲れない真空管アンプが好まれました。
真空管アンプは、「メリハリのある音でありながら、きつく感じさせない」「温かみのある柔らかく滑らかな音」が特長です。音がシャープでともすれば冷たい印象を与えるトランジスタアンプに対して、豊潤で心地よい音をゆったりと楽しむことに適しています。そのような真空管アンプの魅力を、若き私はヨーロッパで身をもって体感したのです。
【50代からの再チャレンジ】
その後、30余年にわたって、真空管アンプとの付き合いは、もっぱら聴く方に終始しました。大手スーパーに就職し、サラリーマンとして多忙な毎日を送りながら、年齢を重ねていきました。
転機が訪れたのは、学生時代に自作した真空管アンプの不具合がきっかけでした。調べてみると、前段のミニチュア管に寿命が来ており、交換が必要でした。しかし、この真空管の入手がむずかしく、あちこち探しているうちに幸い香里電機社長の兵頭卓さんと出会ったのです。
香里電機は「LEBEN」というブランド名で知られる真空管アンプの専門メーカーです。兵頭社長は快くミニチュア真空管を譲ってくださったのですが、自家製の真空管アンプには配線などほかにも不具合が出ていたことから、私は一からつくり直したいと欲を出しました。そこで、休みのたびに、尼崎市の香里電機に足を運び、兵頭さんに基礎から教えてもらいながら、真空管アンプの製作を始めたのです。
通いはじめて2年後くらいに、私は会社を辞めて香里電機に入社しました。57歳からの再出発。これまでとはまったく畑違いの仕事への転職でした。経済的な不安もありましたが、好きなことを仕事にできる喜びの方が勝っていました。
【多くの人に真空管アンプの魅力を】
兵頭さんのモットーは、「オーディオがマニア向けに高級化しているなかで、なるべく低価格でできるだけ多くの人に真空管アンプの魅力的な音を聴いてもらいたい」というものでした。この考えに私は全面的に賛同し、その思いを共有して仕事に励みました。これが現在に至るまで、私の基本的なスタンスとなっています。
一通りの技術は入社前の2年間でほぼ習得しており、アンプの構造や仕組みなど理論的なことも理解していました。それでも、真空管やコンデンサ、トランスなどにはさまざまな種類があり、それらをどういう場所にどういう用途で用いるか、細かいところまで覚えていくのは大変でした。真空管にはそれぞれ固有の音があり、トランスやコンデンサによっても出てくる音が大きく異なります。それらを付け替えて実際にデッキで音を出してみて初めて、高域や低域の音の出方や音の伸びやかさ、晴れやかさなどが理解できます。
新しいアンプに挑戦したときは、どんな音が出るのかわくわくして堪りません。期待通りの、あるいはそれ以上のよい音が出たときが、無上の喜びを感じる瞬間です。
その後、体調を崩された兵頭さんの長期入院に伴って、香里電機はレーベン工房へと組織変更し、現在も海外輸出専門に生産を続けています。私は65歳を機に退職し、自宅を工房として同社製品の製造や修理などを請け負っています。
【音の真価を未来へ継承】
20世紀の初めに発明された真空管は、電子デバイスの先駆けとしてラジオ、テレビをはじめ多数の電子機器に利用されてきました。しかし、20世紀の後半にはその役割をトランジスタに譲り、さらに情報処理技術はアナログからデジタルに移行していきました。
真空管は現在でもロシアや中国では安定的に生産されているものの、かつて欧米やわが国の一流メーカーで大量に生産されていた真空管は年々希少価値が上がり、入手困難になっているものも少なくありません。
中高域の伸びやかで透明感のある音が特徴の三極管を中心に、双三極管やビーム管などさまざまなオーディオ用の真空管が開発され、真空管アンプの逸品が世に送り出されてきました。現在でも、欧米を中心に真空管アンプの熱心なファンは大勢存在します。
この真空管アンプの歴史を絶やすことなく、より多くの人にこの豊潤な音をきいてもらいたい。その一心で真空管アンプの製造を続けていく所存です。
今後はNPO法人くらしと生活環境を守る会の活動として、一般財団法人大阪科学技術センター(OSTEC)様のご協力を得て、子供たちに真空管アンプの仕組みや魅力を伝えていくことを計画しています。